今や世界遺産となった白川郷を高く評価し、最初に世界に紹介したのはドイツ人建築学者
ブルーノ・タウトだった。1935年に白川郷を訪れた彼は『この辺の風景は、もうまったく日本的でない。少なくとも私がこれまで一度も見た事のない景色だ。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ。』と著書「日本美の再発見」の中で述べている。
山間の田園風景の中に林立する、4・5階建てのビルの高さに匹敵する合掌造りの集落は、白川郷と五箇山にしか存在しないので、建築学者のタウトには“日本的でない”と映ったのだろう。
70年後の現在、合掌造り建造物の多くは、上流のダム湖に水没し、114棟(荻町集落)を残すのみとなったが、タウトが訪れた昭和初期には300棟あったと言うから、さぞかし壮観な眺めだったことだろう。とは言え、都市に住む多くの人々にとってこの風景は郷愁を誘う。かつては日本中に有った茅葺屋根と水田、小川に架かる水車は日本の原風景とも言える。また、景観だけではなく、ゲマインシャフト的(地縁や血縁などで自然発生的に形成された集団)雰囲気も残っており、30年毎に葺き替えられる屋根は、伝統的互助制度の“結”で行われる。
雪から家を守る60度の急勾配の屋根。タウトは著書「日本美の再発見」の中で『極めて論理的、合理的で、日本には珍しい庶民の建築』と評している。
写真:旧中野義盛家住宅(1858年頃建築)の三階部分。
訪れた前日に降った、11月には珍しいという20cmの積雪で紅葉と雪景色を楽しめた。
0 Comments:
Post a Comment